永尾光一教授送別の辞

永尾先生は昭和大学大学院(形成外科)を経て平成4年に当科にいらっしゃいました. 形成外科時代は熊本の病院に長く出張されており, 九州全県から外傷などが昼夜を問わず来院する病院だったそうで, 欠損部位の整復などを盛んに手掛けられ, 美容ではなくいわゆる形成外科をしっかり修練したと伺っております. 泌尿器科医としてのキャリアは小生と2年違いでしたが, 小生が入局した時点では永尾先生も新人と同じような雑用をこなしておりました. ただ形成外科医とは言え外科医としてのキャリアの差は歴然としており, いろいろ驚かされたものです. まずは持針器の持ち方が異なりました. 顕微鏡手術が基本である先生は, マチュ...

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Published in東邦医学会雑誌 Vol. 72; no. 1; p. 16
Main Author 中島耕一
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 東邦大学医学会 01.03.2025
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ISSN0040-8670

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Summary:永尾先生は昭和大学大学院(形成外科)を経て平成4年に当科にいらっしゃいました. 形成外科時代は熊本の病院に長く出張されており, 九州全県から外傷などが昼夜を問わず来院する病院だったそうで, 欠損部位の整復などを盛んに手掛けられ, 美容ではなくいわゆる形成外科をしっかり修練したと伺っております. 泌尿器科医としてのキャリアは小生と2年違いでしたが, 小生が入局した時点では永尾先生も新人と同じような雑用をこなしておりました. ただ形成外科医とは言え外科医としてのキャリアの差は歴然としており, いろいろ驚かされたものです. まずは持針器の持ち方が異なりました. 顕微鏡手術が基本である先生は, マチュー持針器を指だけで回転させます. 手首は使わないわけです. 開放手術の大きな術創の閉創も同様にされるので, 先輩医師からは注意されて閉口されていた様でした.
ISSN:0040-8670