テクラの遺産相続(翻訳)

このような夏, そう一八六五年の夏はどうやら, ありがたいことにいつの時代にもいる, 世にいう「土地の古老」といわれる御仁でさえとんと覚えがないような, それどころか, そのせいもあって今後数世紀, 気象学者たちの間でまさしく稀な夏として前例となっていきそうな勢いだった. そんなこんなで五月から九月までの毎日毎日, 来る日も来る日も, この記述にあたる者の記憶に, 鋸で切断された自殺者の頭蓋骨の列が実に生々しく蘇ってくることになった. 彼はかつてこれら頭蓋骨の陳列をある解剖学博物館で, 哀感とともに国家法の深淵に触れる恐怖に震撼しながら, 見入ったものだった. それは, いったいいかなる手が身...

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Published inKAWASAKI IGAKKAI SHI LIBERAL ARTS & SCIENCE COURSE no. 23; pp. 23 - 38
Main Author 永末和子
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 川崎医学会 1997
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ISSN0386-5398

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Summary:このような夏, そう一八六五年の夏はどうやら, ありがたいことにいつの時代にもいる, 世にいう「土地の古老」といわれる御仁でさえとんと覚えがないような, それどころか, そのせいもあって今後数世紀, 気象学者たちの間でまさしく稀な夏として前例となっていきそうな勢いだった. そんなこんなで五月から九月までの毎日毎日, 来る日も来る日も, この記述にあたる者の記憶に, 鋸で切断された自殺者の頭蓋骨の列が実に生々しく蘇ってくることになった. 彼はかつてこれら頭蓋骨の陳列をある解剖学博物館で, 哀感とともに国家法の深淵に触れる恐怖に震撼しながら, 見入ったものだった. それは, いったいいかなる手が身に及んだか, このような不幸に運命づけられたひとりの人間を, なお重ねて法における権利と有用性を盾に解剖学の手にゆだねる国家法への無限の恐怖だった. そこには, ここにある頭蓋骨はあのいわゆる自然な死, 愛する隣人たちの手にまもられながら召されていった死とは違って, 重量や組織の点で異常を呈していると注意書きまでが添えられているのだ.
ISSN:0386-5398