東日本大震災被災地での研修を終えて~女川の輝望の丘から

山口大学医学部医学科4年生(当時)2名が,平成24年3月の4日間,東日本大震災の被災地の医療を研修するために,宮城県女川町を訪問した.女川町は,人口約1万人の町だったが,今回の津波により人口の1割近くの方が亡くなった.訪問した震災約1年後においても,がれきの残る平地のままの街の姿が,被害の大きさを表していた.研修を行った女川町立病院も地震と津波で大きな被害を受けたが,災害直後から,齋藤充院長のもと,入院患者や住民の救護にあたった.全国から多くの医師の支援を受け,急性期を乗り越え,訪問時には,一般診療に加えて,仮設住宅の訪問診療など,慢性期の災害医療に取り組んでいた.研修では,外来患者へのインタ...

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Published in山口医学 Vol. 62; no. 3; pp. 143 - 148
Main Authors 福田, 吉治, 江見, 咲栄
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 山口大学医学会 01.08.2013
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ISSN0513-1731
1880-4462
DOI10.2342/ymj.62.143

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Summary:山口大学医学部医学科4年生(当時)2名が,平成24年3月の4日間,東日本大震災の被災地の医療を研修するために,宮城県女川町を訪問した.女川町は,人口約1万人の町だったが,今回の津波により人口の1割近くの方が亡くなった.訪問した震災約1年後においても,がれきの残る平地のままの街の姿が,被害の大きさを表していた.研修を行った女川町立病院も地震と津波で大きな被害を受けたが,災害直後から,齋藤充院長のもと,入院患者や住民の救護にあたった.全国から多くの医師の支援を受け,急性期を乗り越え,訪問時には,一般診療に加えて,仮設住宅の訪問診療など,慢性期の災害医療に取り組んでいた.研修では,外来患者へのインタビュー,保健師や理学療法士等と一緒に,仮設住宅でのイベントへの参加や訪問リハビリへの同行を行った.多職種が連携しながら,被災地の住民の健康支援をする姿に,生活に密着した医療の必要性を強く感じた.また,元気で明るいスタッフや地域の方との多くの出会いの中で,自分自身が勇気づけられ,大学でのこれからの学習の大きなモチベーションとなった.女川の復興は少しずつ進んでいる.女川町立病院は女川町地域医療センター『輝望の丘』と変わり,家庭医によるプライマリ・ケアを中心とした地域医療を提供し始めた.大震災という経験を通じて構築される女川の医療は,これからの新しい地域医療の形として全国のモデルとなるだろう.
ISSN:0513-1731
1880-4462
DOI:10.2342/ymj.62.143