兵頭先生と良導絡(1)
兵頭先生は, 昭和61年8月, 田村喜弘会長のあとを嗣がれ, 第4代本会会長に就任され, 終生, 本会の発展に力を尽くして来られました. その期間はほぼ8年に及びます. 顧みまするに, 先生は京都大学のご出身で, その第2生理学教室では, 石川日出鶴丸, 笹川久吾教授によって, 我が国大学における最初の東洋医学への挑戦がなされていた事については, 先生も承知しておられたでしょうが, 学生時代は, 先生は外科を志望しておられた為に, 第2生理でなされていた研究はご承知なかったようである. 27年に京都大学を卒業され, 国立京都病院で実地修練, 翌年, 医師免許証を受領されてより, 籍を京都大学外...
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| Published in | 日本良導絡自律神経学会雑誌 Vol. 41; no. 9; pp. 198 - 223 |
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| Main Author | |
| Format | Journal Article |
| Language | Japanese |
| Published |
日本良導絡自律神経学会
1996
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| Online Access | Get full text |
| ISSN | 0913-0977 1884-7595 |
| DOI | 10.17119/ryodoraku1986.41.198 |
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| Summary: | 兵頭先生は, 昭和61年8月, 田村喜弘会長のあとを嗣がれ, 第4代本会会長に就任され, 終生, 本会の発展に力を尽くして来られました. その期間はほぼ8年に及びます. 顧みまするに, 先生は京都大学のご出身で, その第2生理学教室では, 石川日出鶴丸, 笹川久吾教授によって, 我が国大学における最初の東洋医学への挑戦がなされていた事については, 先生も承知しておられたでしょうが, 学生時代は, 先生は外科を志望しておられた為に, 第2生理でなされていた研究はご承知なかったようである. 27年に京都大学を卒業され, 国立京都病院で実地修練, 翌年, 医師免許証を受領されてより, 籍を京都大学外科に置かれ, 付属病院外科副手, 岐阜市民病院外科医院と回られ, 31年に大学院に戻られた時, 麻酔科の稲本晃教授のお誘いを受けられることになり, 助手となって麻酔科に転身された. 35年に学位を受領され, 麻酔科医として広く天分を尽くされたが, それ許りでなく, 先生は医師というより文筆家を思わせる程の文章で, その上, ポンチ絵(さし絵)にも並み並みならぬ漫画家としても十分に通用する才能を発揮され, 忽ちの内にその優秀性が, 学界の中で注目を集められた. |
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| ISSN: | 0913-0977 1884-7595 |
| DOI: | 10.17119/ryodoraku1986.41.198 |