M.ヴェーバー『職業としての政治』の政治教育思想とその史的意義 : 「実証」を通じての政治指導者形成の思想

本稿はマックス・ヴェーバー(1864-1920)の1919年の論文「職業としての政治」を、第一次大戦敗北にともなう君主制崩壊後の指導者不在に対応して、自国の民主的な政治指導者をいかに形成するかという政治教育の課題を思想的に受けとめたテクストとして検討した。その結果、社会的現場での、「カリスマ的教育」に相当する苛酷な「修練」に耐えることを通じ、政治上の理念を政治指導者たるべき者がみずからの追随者に対し不断に「実証」して指導者選抜を図りつつ、自己自身を内面的に支配するのみならず、行為結果や環境との関連で客観的に自己対象化するという主体形成の思想が摘出できた。こうして政治家としての指導者諸資質を意図...

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Published in教育学研究 Vol. 77; no. 3; pp. 255 - 270
Main Author 河原, 国男
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 一般社団法人 日本教育学会 01.09.2010
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ISSN0387-3161
2187-5278
DOI10.11555/kyoiku.77.3_255

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Summary:本稿はマックス・ヴェーバー(1864-1920)の1919年の論文「職業としての政治」を、第一次大戦敗北にともなう君主制崩壊後の指導者不在に対応して、自国の民主的な政治指導者をいかに形成するかという政治教育の課題を思想的に受けとめたテクストとして検討した。その結果、社会的現場での、「カリスマ的教育」に相当する苛酷な「修練」に耐えることを通じ、政治上の理念を政治指導者たるべき者がみずからの追随者に対し不断に「実証」して指導者選抜を図りつつ、自己自身を内面的に支配するのみならず、行為結果や環境との関連で客観的に自己対象化するという主体形成の思想が摘出できた。こうして政治家としての指導者諸資質を意図して形成することを求めるヴェーバー政治教育思想は、等しく民主主義の理念に導かれつつも同時代の公民教育とは異なった思想的可能性を示していた。
ISSN:0387-3161
2187-5278
DOI:10.11555/kyoiku.77.3_255