奈良女子高等師範学校における薙刀教育 薙刀教師および指導内容の変遷に注目して
「I はじめに」わが国では, 明治5(1872)年の学制発布を契機として義務教育が開始されたが, 当初は8年制の男女共学を内容としたものであった. しかし, 明治12(1879)年の教育令では, 男女別学の方針が打ち出され, 良妻賢母を養成する女子教育の必要性が説かれるようになった. この後女子に対しては家事・裁縫が必修となり, 温和・貞淑に代表される婦徳を養成する教育が実施されていくこととなる(深谷, 1966). 一方, 明治維新後いったん衰退した武術は, 明治10年代より, 俗にいう東京警視庁抜刀隊注1)の西南戦争における活躍や嘉納治五郎による講道館の開設(1882)により, その意義が...
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Published in | 体育学研究 Vol. 54; no. 1; pp. 123 - 135 |
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Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
一般社団法人 日本体育学会
2009
日本体育学会 |
Subjects | |
Online Access | Get full text |
ISSN | 0484-6710 1881-7718 |
DOI | 10.5432/jjpehss.a540113 |
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Summary: | 「I はじめに」わが国では, 明治5(1872)年の学制発布を契機として義務教育が開始されたが, 当初は8年制の男女共学を内容としたものであった. しかし, 明治12(1879)年の教育令では, 男女別学の方針が打ち出され, 良妻賢母を養成する女子教育の必要性が説かれるようになった. この後女子に対しては家事・裁縫が必修となり, 温和・貞淑に代表される婦徳を養成する教育が実施されていくこととなる(深谷, 1966). 一方, 明治維新後いったん衰退した武術は, 明治10年代より, 俗にいう東京警視庁抜刀隊注1)の西南戦争における活躍や嘉納治五郎による講道館の開設(1882)により, その意義が見直され, さらに日清・日露戦争後には, 尚武の気風が高揚し, 帝国議会への請願運動の高まりや社会の風潮に推されて, 明治44(1911)年7月に初めて撃剣と柔術が, 中学校令施行規則の中で正課体育の随意科目として加えられた(入江, 2003). |
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ISSN: | 0484-6710 1881-7718 |
DOI: | 10.5432/jjpehss.a540113 |