パーソナルデータの経済価値~把握の困難性と個人の認識

本稿では、パーソナルデータの経済価値について、パーソナルデータが財として捉えられるようになった状況を踏まえ、その捉え方について検討をおこなった。パーソナルデータの経済価値は自明なものではなく、現在ではその価値を測定する方法も確立していない。既存のアプローチには限界もあり、まずは個別サービスの分析を蓄積していくことが求められる。また、個人のパーソナルデータに対する価値認識にはいっそうの困難性が存在する。パーソナルデータの生産コスト概念は通常の財とは異なり、プライバシーという特殊な要素に関わってくる。個人が適切に自身のパーソナルデータを提供できなければ、パーソナルデータの利活用や価値の分配の在り方...

Full description

Saved in:
Bibliographic Details
Published in経済分析 Vol. 209; pp. 70 - 86
Main Author 高口, 鉄平
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 内閣府経済社会総合研究所 29.03.2024
Subjects
Online AccessGet full text
ISSN0453-4727
2758-9900
DOI10.60294/keizaibunseki.209.0_70

Cover

More Information
Summary:本稿では、パーソナルデータの経済価値について、パーソナルデータが財として捉えられるようになった状況を踏まえ、その捉え方について検討をおこなった。パーソナルデータの経済価値は自明なものではなく、現在ではその価値を測定する方法も確立していない。既存のアプローチには限界もあり、まずは個別サービスの分析を蓄積していくことが求められる。また、個人のパーソナルデータに対する価値認識にはいっそうの困難性が存在する。パーソナルデータの生産コスト概念は通常の財とは異なり、プライバシーという特殊な要素に関わってくる。個人が適切に自身のパーソナルデータを提供できなければ、パーソナルデータの利活用や価値の分配の在り方が望ましいものではなくなる可能性がある。本稿では個人の価値認識に関する調査、分析をおこない、個人のパーソナルデータ提供の可能性は情報の種類によってさまざまであり、また提供の対価の形式によっても個人の反応が異なる可能性があるという示唆を得た。さらに、個人は現在の企業の情報漏えいに対する補償対応と比較してかなり大きいコストを意識していることがわかった。
ISSN:0453-4727
2758-9900
DOI:10.60294/keizaibunseki.209.0_70