環状高分子間の貫通に対するパーシステントホモロジー
「紐の絡み合い」は,誰もが経験したことのある身近な現象であろう.同様な現象はミクロな高分子の世界においても存在し,その記述と理解は高分子物理学における最も挑戦的な課題であるといっても過言ではない.例えば,鎖長の長い高分子の濃厚溶液に見られる顕著な粘弾性特性が,鎖間の絡み合いに起因することはよく知られている.絡み合いの定義は何か? 広義には,鎖同士が互いにすり抜けない性質(非交差性)に由来する効果を絡み合いと呼ぶのが通常であろう.同義の用語として,「トポロジカルな拘束」という表現も用いられる.しかし,ひとたびその分子論的実態を問われると,明確な答えに窮してしまう.トポロジカルな拘束という表現は,...
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Published in | 日本物理学会誌 Vol. 77; no. 8; pp. 523 - 528 |
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Main Authors | , |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
一般社団法人 日本物理学会
05.08.2022
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ISSN | 0029-0181 2423-8872 |
DOI | 10.11316/butsuri.77.8_523 |
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Summary: | 「紐の絡み合い」は,誰もが経験したことのある身近な現象であろう.同様な現象はミクロな高分子の世界においても存在し,その記述と理解は高分子物理学における最も挑戦的な課題であるといっても過言ではない.例えば,鎖長の長い高分子の濃厚溶液に見られる顕著な粘弾性特性が,鎖間の絡み合いに起因することはよく知られている.絡み合いの定義は何か? 広義には,鎖同士が互いにすり抜けない性質(非交差性)に由来する効果を絡み合いと呼ぶのが通常であろう.同義の用語として,「トポロジカルな拘束」という表現も用いられる.しかし,ひとたびその分子論的実態を問われると,明確な答えに窮してしまう.トポロジカルな拘束という表現は,トポロジカル不変量を基にした絡み合いの記述を連想させるが,教科書で詳述される直鎖高分子の溶液では,数学的な意味で厳密なトポロジカル不変量は存在しない.この点において興味深いのが環状高分子の溶液である.鎖の切断,再結合が起こらない限り,系のトポロジーは試料の合成の段階で決定し,そのような曖昧さはない.近年,最も基本的な設定となる「絡み目」の環状高分子濃厚溶液において,直鎖高分子の濃厚溶液とは大きく異なる粘弾性特性を示すことが明らかになってきた.では,絡み目というトポロジカルな拘束下での絡み合いとはどのようなものか?まず思いつくのが,大きく開いたリングの中を,別のリングが通り抜けた「貫通」(threading)という絡み合い様式であろう.この素朴な描像をきっちりとした土台に乗せ議論を進めるには,貫通を適切に定量化し,物性との相関を検証する必要がある.貫通の定量化に向けてこれまでにいくつかの手法が提案されているが,十分に満足できるものはない.従来の手法において,最も重要な問題は構造のわずかな擾乱に対して貫通の有無が不連続に変化することである.ソフトマターでは構造の揺らぎが大きいためこの問題点は致命的である.他にも計算コストや数理的な基礎づけ等にも課題があった.近年,パーシステントホモロジーと呼ばれる「穴」に注目した構造の定量化手法が応用数学分野において提案された.パーシステントホモロジーでは分子シミュレーションで得られる原子や分子の座標データを入力すると穴の有無とサイズを表現する2次元散布図(パーシステント図)を出力する.パーシステント図の計算には主に2つの特徴がある.第一に,構造のわずかな擾乱に対して安定性を持つ.第二に,計算アルゴリズムに関して計算幾何学と線形代数の洗練された手法を組み合わせることで実用に耐えうる程度の高速な計算が実現されている.我々はパーシステントホモロジーを用いて,環状高分子鎖の濃厚系における貫通を定量化する方法を提案した.鍵となるアイデアは貫通の有無を穴の有無に言い換えることである.この言い換えにより貫通を判定する計算をパーシステントホモロジーの計算として実現し,従来の手法の問題点を克服するデータ解析手法を与えることに成功した. |
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ISSN: | 0029-0181 2423-8872 |
DOI: | 10.11316/butsuri.77.8_523 |