東京都北区田端不動坂遺跡の鏡埋納遺構
本稿は,東京都北区田端不動坂遺跡で検出された古墳時代前期後半の土坑の調査概要およびその性格についての考察を主題としている。 南関東地方では当該期の集落の検出事例は稀であるが,田端不動坂遺跡では集落に付属して,珠紋鏡,玉類,砥石および打ち割られた土器類などを埋納した土坑が存在することが判明した。この土坑の利用の仕方は,その内部の板囲いの長方形の空間を使用していた時期と,この空間を埋め,鏡・玉類・砥石・土器類などを埋納した時点とが,調査の結果,想定された。このうち,埋納が終了した最終段階は,おそらく集落の廃絶の時期と重なり合うことが推測された。 田端不動坂遺跡周辺では,古墳時代前期後半に集落関連遺...
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| Published in | 日本考古学 Vol. 9; no. 13; pp. 123 - 130 |
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| Main Author | |
| Format | Journal Article |
| Language | Japanese |
| Published |
一般社団法人 日本考古学協会
2002
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| Subjects | |
| Online Access | Get full text |
| ISSN | 1340-8488 1883-7026 |
| DOI | 10.11215/nihonkokogaku1994.9.123 |
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| Summary: | 本稿は,東京都北区田端不動坂遺跡で検出された古墳時代前期後半の土坑の調査概要およびその性格についての考察を主題としている。 南関東地方では当該期の集落の検出事例は稀であるが,田端不動坂遺跡では集落に付属して,珠紋鏡,玉類,砥石および打ち割られた土器類などを埋納した土坑が存在することが判明した。この土坑の利用の仕方は,その内部の板囲いの長方形の空間を使用していた時期と,この空間を埋め,鏡・玉類・砥石・土器類などを埋納した時点とが,調査の結果,想定された。このうち,埋納が終了した最終段階は,おそらく集落の廃絶の時期と重なり合うことが推測された。 田端不動坂遺跡周辺では,古墳時代前期後半に集落関連遺跡が途絶え,それ以降,集落が再び現れるのは7世紀後半段階である。集落の廃絶時に,それまで祭祀に使用されてきた道具類が一括して埋納されたという象徴的な行為が,ここに読み取られる。 この象徴的な行為が何を意味するのか,現在このような埋納遺構の集成研究を通して検討中であるが,小型鏡が集落に遺るとき,集落の廃絶と集団の移動がおこり,その背景として古墳時代社会に大きな変動が生じていることが予測される。 |
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| ISSN: | 1340-8488 1883-7026 |
| DOI: | 10.11215/nihonkokogaku1994.9.123 |