東日本大震災の避難所におけるボランティア体験からの学び

<とりあえず行く!> 3月16日(水), 私が新潟市の体育館に行こうと思ったきっかけは, 帰宅途中の車中でのラジオから流れてきたニュースだった. その内容は, 東日本大震災によって被害を受けた福島原子力発電所の放射線被爆の影響から, 発電所周辺の住民に避難指示が出されたというものであった. そして, 3月16日夕方から新潟市が約1000人の避難者を受け入れると伝えていた. 真っ先に思い出したのは, 4年前の中越沖地震で, 刈羽村にボランティアに行った時の体験であった. 刈羽村現地には地震後10日目に1日だけ行った. 避難所となっている体育館では, 高齢者が薄い毛布を床に敷き, 休ん...

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Published in新潟医療福祉学会誌 Vol. 11; no. 2; pp. 6 - 11
Main Author 石塚敏子
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 新潟医療福祉学会 01.12.2011
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ISSN1346-8774

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Summary:<とりあえず行く!> 3月16日(水), 私が新潟市の体育館に行こうと思ったきっかけは, 帰宅途中の車中でのラジオから流れてきたニュースだった. その内容は, 東日本大震災によって被害を受けた福島原子力発電所の放射線被爆の影響から, 発電所周辺の住民に避難指示が出されたというものであった. そして, 3月16日夕方から新潟市が約1000人の避難者を受け入れると伝えていた. 真っ先に思い出したのは, 4年前の中越沖地震で, 刈羽村にボランティアに行った時の体験であった. 刈羽村現地には地震後10日目に1日だけ行った. 避難所となっている体育館では, 高齢者が薄い毛布を床に敷き, 休んでいた. 全国からさまざまな物資が届いてはいたが, トイレに置いてあるハンドソープは空で, 集配所まで取りに行くが物はなく, 役場まで受け取りに行った. 行政も人手が足りないことがわかった. 避難所からお年寄りをバスに乗せ, 野外に建てられた簡易の入浴施設まで行き, 入浴介助を行った.
ISSN:1346-8774