武蔵野南沢の自然誌 (V) 戦時下の自由学園の農業教育から (1)
自由学園は1921年に旧東京府で女学校としての創立後,関東大震災後の復興による現 目白キャンパス周辺の都市化によって,1930年代前半に農村地帯であった旧 同 北多摩郡久留米村の現南沢キャンパスに移転し,1935年に男子部が創設された.当時は,1931年の満州事変以降,1937年日中戦争,1938年に国家総動員法公布と続く戦時体制下であった.自由学園の食糧増産は,佐々木喬教授(東京帝国大学田無農場長)の指導によって,農業教育として男子部,女子部,初等部が協力して行われた.本寄稿では「戦時下の自由学園の農業教育から(1)」として,自由学園南沢キャンパス北側の谷を流れる落合川沿いにあった「旧落合川...
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          | Published in | 生活大学研究 Vol. 8; no. 1; pp. 81 - 102 | 
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| Main Authors | , , | 
| Format | Journal Article | 
| Language | Japanese | 
| Published | 
            学校法人 自由学園最高学部
    
        2023
     | 
| Subjects | |
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| ISSN | 2189-6933 | 
| DOI | 10.19019/jiyu.8.1_81 | 
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| Summary: | 自由学園は1921年に旧東京府で女学校としての創立後,関東大震災後の復興による現 目白キャンパス周辺の都市化によって,1930年代前半に農村地帯であった旧 同 北多摩郡久留米村の現南沢キャンパスに移転し,1935年に男子部が創設された.当時は,1931年の満州事変以降,1937年日中戦争,1938年に国家総動員法公布と続く戦時体制下であった.自由学園の食糧増産は,佐々木喬教授(東京帝国大学田無農場長)の指導によって,農業教育として男子部,女子部,初等部が協力して行われた.本寄稿では「戦時下の自由学園の農業教育から(1)」として,自由学園南沢キャンパス北側の谷を流れる落合川沿いにあった「旧落合川自由学園校地(仮称)」(男子部産業教育の拠点)と,そこで行われた循環型農業を目指した麦作と水田稲作,養豚について,男子部農業助手による1943(昭和18)年の報告と,当時の生徒の回想から紹介する. | 
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| ISSN: | 2189-6933 | 
| DOI: | 10.19019/jiyu.8.1_81 |