武蔵野南沢の自然誌 (VI) 戦時下の自由学園の農業教育から (2)
自由学園南沢キャンパスでの農業教育が、「空き地農業」として男子部の産業を中心に、女子部、小学部を含む自由学園全体で行われるようになった昭和16(1941)年の状況について、「戦時下の自由学園の農業教育(2)」として紹介する。昭和16年4月から男子部は創設7年目となり、1年生から7年生まで7学年が揃った最初の年であった。この5月には那須野が原に農場が設置され、男子部生徒による開墾が始まった。昭和6(1931) 年満州事変、昭和12(1937)年の盧溝橋事件、日中戦争、と戦時下の物資・食糧供給は次第に厳しさを増した。その中で昭和15(1940)年秋まで、生徒の自主性を生かして12部門に分かれてすす...
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          | Published in | 生活大学研究 Vol. 9; no. 1; pp. 16 - 25 | 
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| Main Authors | , , | 
| Format | Journal Article | 
| Language | Japanese | 
| Published | 
            学校法人 自由学園最高学部
    
        2024
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| Subjects | |
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| ISSN | 2189-6933 | 
| DOI | 10.19019/jiyu.9.1_16 | 
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| Summary: | 自由学園南沢キャンパスでの農業教育が、「空き地農業」として男子部の産業を中心に、女子部、小学部を含む自由学園全体で行われるようになった昭和16(1941)年の状況について、「戦時下の自由学園の農業教育(2)」として紹介する。昭和16年4月から男子部は創設7年目となり、1年生から7年生まで7学年が揃った最初の年であった。この5月には那須野が原に農場が設置され、男子部生徒による開墾が始まった。昭和6(1931) 年満州事変、昭和12(1937)年の盧溝橋事件、日中戦争、と戦時下の物資・食糧供給は次第に厳しさを増した。その中で昭和15(1940)年秋まで、生徒の自主性を生かして12部門に分かれてすすめられていた産業の中の畜産・農芸を、男子部全体で進めていく方向に、創立者の指導による改革が行われた。さらに、翌昭和16(1941) 年から「空き地農業」として自由学園構内を開墾し食糧増産を行うことになった。自由学園農業教育の食糧増産への切り替えは、年初に東京帝国大学田無農場長の佐々木喬博士を招いて相談と計画作成が行われ、その後も佐々木博士は、開墾、那須農場開場に伴う南沢キャンパスの作目変更、秋の夏作のまとめの折々に来校し、生徒一同を指導された。その内容を、『学園新聞』、および『自由学園の歴史II』から紹介する。創立以来、自然誌教育(Nature study)を受けてきた自由学園生徒に、この時期に専門家による指導が行われたことが、その後の農業教育・食糧増産に大きな影響があったと考えられる。さらに同年末には、自由学園教育20年報告会が行われ、会期中の12月8日に太平洋戦争が勃発し、男子部7年生は12月28日に繰上げ卒業となった。 | 
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| ISSN: | 2189-6933 | 
| DOI: | 10.19019/jiyu.9.1_16 |