身体と食の公共性を奪うもの 2020年東京オリンピック・パラリンピックという社会的装置はいかに機能するか
本論は、身体や食をめぐる公共性がいかに剥奪されているかということについて考察する。そこで重要な社会的装置として機能しているのが「2020 年東京オリンピック・パラリンピック競技大会」(以下「2020 東京オリンピック」)であることを明らかにすることで、新自由主義における規範的理性がいかなるものであるか考察する。 「オーガニック」「有機農業」「GAP」「エコ」「環境保全」といった言説をともないながら親密化している「2020 東京オリンピック」と農業との結びつき方について、政府の言説を中心としてまず検討する。次に、その両者を結びつける際に重要な要素として組み込まれている有機農業の理念について検討...
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| Published in | スポーツ社会学研究 Vol. 25; no. 2; pp. 5 - 20 |
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| Main Author | |
| Format | Journal Article |
| Language | Japanese |
| Published |
日本スポーツ社会学会
30.09.2017
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| Subjects | |
| Online Access | Get full text |
| ISSN | 0919-2751 2185-8691 |
| DOI | 10.5987/jjsss.25-02-02 |
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| Summary: | 本論は、身体や食をめぐる公共性がいかに剥奪されているかということについて考察する。そこで重要な社会的装置として機能しているのが「2020 年東京オリンピック・パラリンピック競技大会」(以下「2020 東京オリンピック」)であることを明らかにすることで、新自由主義における規範的理性がいかなるものであるか考察する。 「オーガニック」「有機農業」「GAP」「エコ」「環境保全」といった言説をともないながら親密化している「2020 東京オリンピック」と農業との結びつき方について、政府の言説を中心としてまず検討する。次に、その両者を結びつける際に重要な要素として組み込まれている有機農業の理念について検討する。有機農業とはそもそも、既存の経済システムや政策を批判してきた社会運動としての歴史を有する。そのような背景をもつ有機農業が経済成長主義かつ政府主導の「2020 東京オリンピック」といかに連動するのか。この点について考察するため、カウンターカルチャーとしての有機農業の性質についても注目する。抵抗のシンボルが商品化をへて消費者の選別につながっていく。また、近代において公共性が失われたとする議論を参照しつつ、公的領域への関心や現状に対するクリティカルなまなざしの喪失が、私たちにとってどのような意味をもつものであるか考察する。またそのベースに人的資源として価値を高める強靭な規範性もまた介在していることについて論じる。 公共性を剥奪された身体と食をめぐる規範的理性の命令は、次の二点において作用するものとしてとらえる必要がある。一点めとして、新自由主義的な枠組みで展開する「2020 東京オリンピック」と農業との経済成長に典型的な市場戦略に寄与するものとして作用する。これと同時並行的に、二点めとして、ホモ・エコノミクスみずからが人的資源としての価値を高め、あらゆる経済化競争にみずから好んで関わる方向に作用する。 |
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| ISSN: | 0919-2751 2185-8691 |
| DOI: | 10.5987/jjsss.25-02-02 |