「自己和解」を中心にしたリカバリー概念の生成にむけて 他者の定義による「回復」を超えて
再犯防止推進に代表される特定の犯罪行為を行なった人々への「立ち直り」支援は,多くの人々にとって違和感なく理解され,合意を得て,今後ますます広範囲に実施されることだろう.だが,筆者はダルクを創設し,維持し,実践しつつ研究している立場から,現在の動向だけでは,アディクションのリカバリーにはほど遠いと考えている.本稿の目的は,刑事政策上の再犯防止が主目的ではないダルクの立場から,臨床社会学的に当事者のリカバリーを考察することである.それは,適応という意味が強く含意される強迫的で外挿性の強い回復論ではなく,自己内対話に支えられたプロアクティブproactiveな行動論としてのリカバリー概念生成への試み...
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| Published in | 犯罪社会学研究 Vol. 47; pp. 42 - 59 |
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| Main Author | |
| Format | Journal Article |
| Language | Japanese |
| Published |
日本犯罪社会学会
20.10.2022
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| Subjects | |
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| ISSN | 0386-460X 2424-1695 |
| DOI | 10.20621/jjscrim.47.0_42 |
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| Summary: | 再犯防止推進に代表される特定の犯罪行為を行なった人々への「立ち直り」支援は,多くの人々にとって違和感なく理解され,合意を得て,今後ますます広範囲に実施されることだろう.だが,筆者はダルクを創設し,維持し,実践しつつ研究している立場から,現在の動向だけでは,アディクションのリカバリーにはほど遠いと考えている.本稿の目的は,刑事政策上の再犯防止が主目的ではないダルクの立場から,臨床社会学的に当事者のリカバリーを考察することである.それは,適応という意味が強く含意される強迫的で外挿性の強い回復論ではなく,自己内対話に支えられたプロアクティブproactiveな行動論としてのリカバリー概念生成への試みである.基本的な問いは,リカバリーは誰が決めるのか,ナラティブの主体は誰かである.そのためにG.H.ミードの社会的自我論を手がかりに,自己の変容に照準し,先行研究を踏まえつつ,「自己和解」という概念を用いてアディクションの諸相とリカバリーの過程を考察する.また,近年のダルクの調査研究が当事者のリカバリーに与える影響についても指摘したい. |
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| ISSN: | 0386-460X 2424-1695 |
| DOI: | 10.20621/jjscrim.47.0_42 |