手工教育基礎建設の曙光時代における愛媛教育協会機関誌に見られる手工教育の実態(前編) 愛媛県手工教育史(第三報)

本論は,阿部七五三吉(1936)による「手工教育基礎建設の曙光時代」における1907(明治40)年の「改正小学校令」から1911(明治44)年の「改正小学校令」までの4年4か月間を対象期間として,愛媛教育協会機関誌に見られる手工教育関係史料の調査から,愛媛県の尋常小学校及び高等小学校における手工科の成立及び展開過程を探った。その結果,手工科の性格が,再び実業教育科目としての教科特性として議論されることになった。その背景には,日露戦争後における第一次世界大戦へと向かう国力増強の思想があった。一方,愛媛県師範学校附属小学校は,『小学校教師用手工教科書甲乙丙丁』に準拠しつつ,独自の指導計...

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Published in美術教育学:美術科教育学会誌 Vol. 40; pp. 237 - 254
Main Author 髙橋, 敏之
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 美術科教育学会 2019
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ISSN0917-771X
2424-2497
DOI10.24455/aaej.40.0_237

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Summary:本論は,阿部七五三吉(1936)による「手工教育基礎建設の曙光時代」における1907(明治40)年の「改正小学校令」から1911(明治44)年の「改正小学校令」までの4年4か月間を対象期間として,愛媛教育協会機関誌に見られる手工教育関係史料の調査から,愛媛県の尋常小学校及び高等小学校における手工科の成立及び展開過程を探った。その結果,手工科の性格が,再び実業教育科目としての教科特性として議論されることになった。その背景には,日露戦争後における第一次世界大戦へと向かう国力増強の思想があった。一方,愛媛県師範学校附属小学校は,『小学校教師用手工教科書甲乙丙丁』に準拠しつつ,独自の指導計画を加味して,児童の学習指導をしていた。
ISSN:0917-771X
2424-2497
DOI:10.24455/aaej.40.0_237