「医制」における漢方・鍼灸療法の医療制度化における異同要因について 身体観及び治療形態差を中心として

昨今、伝統医療への期待感が増しているが、わが国では漢方や鍼灸等の伝統医療はそれぞれのあり方において大きな違いを生じている。わが国において、漢方と鍼灸などの制度的位置と異同が公けに明確化したのは、1874年(明治7)に制定されたわが国初の医療制度「医制」によるものであった。本論ではわが国の医療制度化萌芽期における、両療法の異同要因について「医制」を中心に、主に「治療形態差」及びそれを規定し得る「身体観」等を中心として、文献調査によって定説に対しての新規的見解を模索した。わが国の近代萌芽期の漢方医学は、すでに医術としての地位を築いており、特に湯薬等を用いる形態的に「分かりやすい」漢方は、医制制定者...

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Published in人体科学 Vol. 31; no. 1; pp. 23 - 34
Main Author 山田, 江理男
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 人体科学会 15.08.2022
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ISSN0918-2489
2424-2314
DOI10.20788/jmbs.31.1_23

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Summary:昨今、伝統医療への期待感が増しているが、わが国では漢方や鍼灸等の伝統医療はそれぞれのあり方において大きな違いを生じている。わが国において、漢方と鍼灸などの制度的位置と異同が公けに明確化したのは、1874年(明治7)に制定されたわが国初の医療制度「医制」によるものであった。本論ではわが国の医療制度化萌芽期における、両療法の異同要因について「医制」を中心に、主に「治療形態差」及びそれを規定し得る「身体観」等を中心として、文献調査によって定説に対しての新規的見解を模索した。わが国の近代萌芽期の漢方医学は、すでに医術としての地位を築いており、特に湯薬等を用いる形態的に「分かりやすい」漢方は、医制制定者長与専斎らの近代医療一元化の規定路線には拮抗し得たが、当時の医師不足も相まって、漢方は理念的に排斥され、実践的には近代医学転換の余地を担保された。対して鍼灸療法は前近代的な身体観に基づき、治療者の技量と患者の心身の変容に依拠する治療形態であった。そのため、その「分かりにくさ」から過小評価され、思想的にも実践的にも近代医学の中に位置づけることは困難と認識された。結論として、両療法の異同は、わが国の近代医学一元化において漢方は親和性が高かった。一方、鍼灸療法の治療形態と前近代的な身体観により、近代医学への包摂困難性が主要因であった。
ISSN:0918-2489
2424-2314
DOI:10.20788/jmbs.31.1_23