横浜居留地の街区 (山下町) の変遷について

神奈川県横浜市中区山下町の一街区に, 周辺街区の街路とは異なる1区画の街路だけが斜方向に区画整備された特徴をもつ. この街区は文化9年 (1812年) に入江を埋め立て新田として開発された区画であり, 治水の問題上から埋立ての際に, 隣接する新田との境界線が斜方向に傾いた. その後, 横浜港開港時に居留地として整備され都市が形成されたが, 街区は当初 (慶応2年 (1866年)) の都市計画で現在までほぼ変化していない. 山下町の街区が現在でも開港当初の面影を残しているのは, その都市計画がR. H. ブラントンによって行われたもので, 将来を見据えた優れた立案であったと考えられる....

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Bibliographic Details
Published in土木史研究 Vol. 22; pp. 111 - 114
Main Authors 鈴木, 宏宣, 相崎, 円何, 増渕, 文男
Format Journal Article
LanguageEnglish
Japanese
Published 公益社団法人 土木学会 15.05.2002
Subjects
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ISSN0916-7293
1884-8141
DOI10.2208/journalhs1990.22.111

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Summary:神奈川県横浜市中区山下町の一街区に, 周辺街区の街路とは異なる1区画の街路だけが斜方向に区画整備された特徴をもつ. この街区は文化9年 (1812年) に入江を埋め立て新田として開発された区画であり, 治水の問題上から埋立ての際に, 隣接する新田との境界線が斜方向に傾いた. その後, 横浜港開港時に居留地として整備され都市が形成されたが, 街区は当初 (慶応2年 (1866年)) の都市計画で現在までほぼ変化していない. 山下町の街区が現在でも開港当初の面影を残しているのは, その都市計画がR. H. ブラントンによって行われたもので, 将来を見据えた優れた立案であったと考えられる.
ISSN:0916-7293
1884-8141
DOI:10.2208/journalhs1990.22.111