大山崎煉瓦造樋管にみる近代淀川の治水思想
1999年 1999年 (平成11) 11月, 京都府乙訓郡大山崎町桂川右岸高水敷にて煉瓦造二連式樋管が出土した. 本研究は, この樋管建設の経緯を歴史資料を基に整理し, 本樋管の土木構造物としての位置づけ, また近代淀川における治水思想の変遷を明らかにすることを目的としている. 研究の結果, 大山崎煉瓦造樋管は近代淀川における極めて一般的な河川構造物であり, 治水と利水のバランスを考慮した近代治水思想の転換期に築造されたと位置づけられる. また大山崎は, 本樋管の建設・廃棄を通して淀川との関わりを利水から治水へ大きく転換したことが分かった....
Saved in:
Published in | 土木史研究 Vol. 22; pp. 27 - 32 |
---|---|
Main Authors | , |
Format | Journal Article |
Language | English Japanese |
Published |
公益社団法人 土木学会
15.05.2002
|
Online Access | Get full text |
ISSN | 0916-7293 1884-8141 |
DOI | 10.2208/journalhs1990.22.27 |
Cover
Summary: | 1999年 1999年 (平成11) 11月, 京都府乙訓郡大山崎町桂川右岸高水敷にて煉瓦造二連式樋管が出土した. 本研究は, この樋管建設の経緯を歴史資料を基に整理し, 本樋管の土木構造物としての位置づけ, また近代淀川における治水思想の変遷を明らかにすることを目的としている. 研究の結果, 大山崎煉瓦造樋管は近代淀川における極めて一般的な河川構造物であり, 治水と利水のバランスを考慮した近代治水思想の転換期に築造されたと位置づけられる. また大山崎は, 本樋管の建設・廃棄を通して淀川との関わりを利水から治水へ大きく転換したことが分かった. |
---|---|
ISSN: | 0916-7293 1884-8141 |
DOI: | 10.2208/journalhs1990.22.27 |