中崎昌雄論叢と辿る写真技術史のパイオニアたち その 1 1839 年,秘術から科学技術への転換点
本報は「写真技術史のパイオニアたち」と題するシリーズの第一報である.1839 年,フランスでは「Daguerreotype」教 本が出版され,イギリスでは Talbot の「Photogenic Drawing」が王立学会で発表された.秘術であった写真術を公開させ, 科学技術に転換させた功労者は,フランスの物理学者で下院議員でもあった Arago だった.当時技術的に未完成で経済 的な価値を産めない写真研究に対して,技術公開を前提に国が年金支給する法案を成立させた.技術が公開された結果,「死 の谷」を乗越えられる技術の発展が起り,肖像写真館という新しい産業が創成された....
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Published in | 日本写真学会誌 Vol. 86; no. 1; pp. 21 - 31 |
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Main Author | |
Format | Journal Article |
Language | Japanese |
Published |
社団法人 日本写真学会
20.02.2023
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Subjects | |
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ISSN | 0369-5662 1884-5932 |
DOI | 10.11454/photogrst.86.21 |
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Summary: | 本報は「写真技術史のパイオニアたち」と題するシリーズの第一報である.1839 年,フランスでは「Daguerreotype」教 本が出版され,イギリスでは Talbot の「Photogenic Drawing」が王立学会で発表された.秘術であった写真術を公開させ, 科学技術に転換させた功労者は,フランスの物理学者で下院議員でもあった Arago だった.当時技術的に未完成で経済 的な価値を産めない写真研究に対して,技術公開を前提に国が年金支給する法案を成立させた.技術が公開された結果,「死 の谷」を乗越えられる技術の発展が起り,肖像写真館という新しい産業が創成された. |
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ISSN: | 0369-5662 1884-5932 |
DOI: | 10.11454/photogrst.86.21 |