鎌倉時代における叡尊・忍性の救癩事業-イギリス中世の状況と対比して

背景:(本研究の出発点)近代日本においても世界各国と同様にハンセン病を撲滅する手段として収容隔離政策がとられ, 明治42年(1909年)に公立(のち国立)療養所の歴史が始まった. しかし, それより20年ほど前(明治22年)から宗教家の手によって始められた私立施設がすでに存在していた. その民間施設は全部で6つあったと記録されており, 6人の創設者の中に外国人宣教師が5人であり, 日本人僧侶は1人にしか過ぎなかったということが注目される(綱脇龍妙, 日蓮宗). 「それはなぜなのか?」という素朴な疑問が生じる. 日本人の創設者が少なかった要因として運営困難をあげ, 外国人宣教師は海外からの援助な...

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Published in日本ハンセン病学会雑誌 Vol. 69; no. 1; p. 55
Main Authors Trevor William Murphy, 山縣然太朗
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 日本ハンセン病学会 01.03.2000
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ISSN1342-3681

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Summary:背景:(本研究の出発点)近代日本においても世界各国と同様にハンセン病を撲滅する手段として収容隔離政策がとられ, 明治42年(1909年)に公立(のち国立)療養所の歴史が始まった. しかし, それより20年ほど前(明治22年)から宗教家の手によって始められた私立施設がすでに存在していた. その民間施設は全部で6つあったと記録されており, 6人の創設者の中に外国人宣教師が5人であり, 日本人僧侶は1人にしか過ぎなかったということが注目される(綱脇龍妙, 日蓮宗). 「それはなぜなのか?」という素朴な疑問が生じる. 日本人の創設者が少なかった要因として運営困難をあげ, 外国人宣教師は海外からの援助などを受けていたため, 運営面に関して有利な立場にあったというような仮説を立て, 主に私立施設の運営方法に焦点を当ててきた. 今後は, 綱脇龍妙の実践以外, 仏教系救癩事業の他の例を探ることにする. (中世まで遡り…)日本…鎌倉時代において, 律宗僧侶の叡尊(1201-1290)と弟子の忍性(1217-1303)による先駆的な救癩事業も記録されている. 非人宿(癩患者のための施設), 文殊供養, 建治元年(1275年)に書かれた四ヵ条の起請文(癩患者の待遇に関する規則), 極楽寺における忍性の「福祉」活動(integration/normalizationの概念が伺えるのか?), 社会事業のための財源(通行税なのか?), などが注目される. イギリス…イギリスにおいて, 癩病はピークに達したのは, 12世紀か13世紀ごろであり, それ以降徐々に減少し(1349年の黒死病などの影響もあり), 18世紀までに撲滅状態に至った. 中世においてleper house, leper hospitalなどと呼ばれる救癩施設が200ほどあったと記録されている. 鎌倉時代の状況との対比が可能である. 今後の研究課題:日本(鎌倉時代)およびイギリス(中世)の救癩事業について比較し, 検討すること. 注目点:(i)社会事業のための財源(個人寄付なのか?税金なのか?). 施設の運営方法. (ii)施設創設者の動機(宗教への厚い信仰によるものなのか?)(iii)活動の継続性(長続きしなかったら, なぜなのか?個人的な立場で行われていたのか?宗教団体, 国家との関係は?)(iv)現代福祉観の「原型」が見られるのか?
ISSN:1342-3681