産科学から周産期医学への潮流の中で

「I. 妊産婦死亡, 周産期死亡の推移」 私が出生した1950年の妊産婦死亡数は4,117名でした. 1969年, 日本医科大学に入学時には1,008名, 医師国家試験に合格し医師となった年(1974年)には546名, 2014年現在には, わずか42名にまで減少しています. 10万分娩に対する死亡数である妊産婦死亡率は4で, 私が産科医として働き出して40年の間でも妊産婦死亡率は32.7から4にまでと減少は続いています. その理由として自宅分娩の習慣がなくなり, 分娩の介助者が「お産婆さん」から「産科医」に変化したこと, つまり, 病院, 診療所などの施設分娩が主流になったことが大きいと考え...

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Published in日本医科大学医学会雑誌 Vol. 11; no. 2; pp. 73 - 75
Main Author 朝倉啓文
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 日本医科大学医学会 01.04.2015
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ISSN1349-8975

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Summary:「I. 妊産婦死亡, 周産期死亡の推移」 私が出生した1950年の妊産婦死亡数は4,117名でした. 1969年, 日本医科大学に入学時には1,008名, 医師国家試験に合格し医師となった年(1974年)には546名, 2014年現在には, わずか42名にまで減少しています. 10万分娩に対する死亡数である妊産婦死亡率は4で, 私が産科医として働き出して40年の間でも妊産婦死亡率は32.7から4にまでと減少は続いています. その理由として自宅分娩の習慣がなくなり, 分娩の介助者が「お産婆さん」から「産科医」に変化したこと, つまり, 病院, 診療所などの施設分娩が主流になったことが大きいと考えます. 古くから分娩は日常生活の中で取り扱われており, 時には危険に遭遇するのも当然として扱われていたものが, 施設分娩になり, 妊産婦の安全性確保を最優先として「一人の死亡も許さない」, そんな医学管理が行われるようになったのです.
ISSN:1349-8975