野村芳兵衛の一人称の語りとその変容 : 実践記録の記述を中心に

本論文は、大正期に「新教育」の実験学校として設立された池袋児童の村小学校における野村芳兵衛の教育の展開の過程を、彼の一人称の語りの様式の変容に着目して叙述することを目的としている。野村の試みの特徴は、教育の意味と関係の変革が、彼の教師としてのアイデンティティの解体と再編を通して行われ、「私」という一人称を主語とする語りにおいて鮮明に表現された点にある。彼は、明治時代に確立した「教育」と「教師」の役割に懐疑を抱き、ラディカルに「自由」を提唱し「教育」の制度と秩序の破壊を企図した「池袋児童の村」の教師となっている。その際、彼の中心課題として表現され、彼の探究の出発点となっていたのは、「教育」でも「...

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Published in教育学研究 Vol. 66; no. 2; pp. 183 - 192
Main Author 浅井, 幸子
Format Journal Article
LanguageJapanese
Published 一般社団法人 日本教育学会 30.06.1999
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ISSN0387-3161
2187-5278
DOI10.11555/kyoiku1932.66.183

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Abstract 本論文は、大正期に「新教育」の実験学校として設立された池袋児童の村小学校における野村芳兵衛の教育の展開の過程を、彼の一人称の語りの様式の変容に着目して叙述することを目的としている。野村の試みの特徴は、教育の意味と関係の変革が、彼の教師としてのアイデンティティの解体と再編を通して行われ、「私」という一人称を主語とする語りにおいて鮮明に表現された点にある。彼は、明治時代に確立した「教育」と「教師」の役割に懐疑を抱き、ラディカルに「自由」を提唱し「教育」の制度と秩序の破壊を企図した「池袋児童の村」の教師となっている。その際、彼の中心課題として表現され、彼の探究の出発点となっていたのは、「教育」でも「児童」でもなく、「私」の救済と模索であった。野村の教育の展開過程を、彼の一人称の語り、とりわけ実践記録の叙述に着目して叙述することを通し、本論文では以下3点を指摘している。第一に、1924-25年頃に成立した野村自身を「私」、子どもを固有名またはイニシャルで表記する物語的な記述の様式に、「教師-児童」の役割的な関係に対して「私-あなた」の関係と呼びうる野村と子どもとの関係が現出していること。野村が最初に子どもを名前で表記した際、そこでは教師が子どもを見る、教師が子どもに問うという教育において一般的な視線と言語の関係が逆転し無効化していた。彼は教育を語る言葉を一旦喪失するが、その後「私」と固有名の子どもが登場する実践記録の記述を通し、子どもとの「私-あなた」の関係において教師としてのアイデンティティを再構築している。また同時に教育を、目的に向かう活動としてではなく、その具体的な関係において既に成立し,でいる一回性を持つ実践として見い出していた。第二に、野村が1925-26年頃に構想したカリキュラムが、子どもの学習経験の意味と関係を重層的に表現し構成していたこと。彼は、教師と子ども、子どもと子どもの固有の関係を、それぞれの「個」の世界の鑑賞として表現し、学習の社会的な意味を構成している。そしてもう一方では、とりわけ「教科目」の再編において、子どもの経験を学問あるいは芸術の活動として意味づけていた。彼のカリキュラムは、制度的な教育の計画というよりも、学習経験の関係と意味のネットワークとして成立している。第三に、1930年以降に再構成された野村のカリキュラムが、「協働自治」を一元的な原理とすることによって、学校を組織化し教育の関係を「協働」へと定型化していたこと。カリキュラムの変化に先立って、野村の使用する一人称は「私」から「吾々」へと変化し、彼の子どもとの経験の叙述が激減している。彼は「社会」へと眼を向けた一方、彼自身と子どもの固有性への視線を衰退させていた。その結果、「池袋児童の村」は、「ハウスシステム」と呼ばれる子どもの班組織、校歌、校旗等の導入を通して、機能的かつ象徴的な組織へと再編されている。
AbstractList 本論文は、大正期に「新教育」の実験学校として設立された池袋児童の村小学校における野村芳兵衛の教育の展開の過程を、彼の一人称の語りの様式の変容に着目して叙述することを目的としている。野村の試みの特徴は、教育の意味と関係の変革が、彼の教師としてのアイデンティティの解体と再編を通して行われ、「私」という一人称を主語とする語りにおいて鮮明に表現された点にある。彼は、明治時代に確立した「教育」と「教師」の役割に懐疑を抱き、ラディカルに「自由」を提唱し「教育」の制度と秩序の破壊を企図した「池袋児童の村」の教師となっている。その際、彼の中心課題として表現され、彼の探究の出発点となっていたのは、「教育」でも「児童」でもなく、「私」の救済と模索であった。野村の教育の展開過程を、彼の一人称の語り、とりわけ実践記録の叙述に着目して叙述することを通し、本論文では以下3点を指摘している。第一に、1924-25年頃に成立した野村自身を「私」、子どもを固有名またはイニシャルで表記する物語的な記述の様式に、「教師-児童」の役割的な関係に対して「私-あなた」の関係と呼びうる野村と子どもとの関係が現出していること。野村が最初に子どもを名前で表記した際、そこでは教師が子どもを見る、教師が子どもに問うという教育において一般的な視線と言語の関係が逆転し無効化していた。彼は教育を語る言葉を一旦喪失するが、その後「私」と固有名の子どもが登場する実践記録の記述を通し、子どもとの「私-あなた」の関係において教師としてのアイデンティティを再構築している。また同時に教育を、目的に向かう活動としてではなく、その具体的な関係において既に成立し,でいる一回性を持つ実践として見い出していた。第二に、野村が1925-26年頃に構想したカリキュラムが、子どもの学習経験の意味と関係を重層的に表現し構成していたこと。彼は、教師と子ども、子どもと子どもの固有の関係を、それぞれの「個」の世界の鑑賞として表現し、学習の社会的な意味を構成している。そしてもう一方では、とりわけ「教科目」の再編において、子どもの経験を学問あるいは芸術の活動として意味づけていた。彼のカリキュラムは、制度的な教育の計画というよりも、学習経験の関係と意味のネットワークとして成立している。第三に、1930年以降に再構成された野村のカリキュラムが、「協働自治」を一元的な原理とすることによって、学校を組織化し教育の関係を「協働」へと定型化していたこと。カリキュラムの変化に先立って、野村の使用する一人称は「私」から「吾々」へと変化し、彼の子どもとの経験の叙述が激減している。彼は「社会」へと眼を向けた一方、彼自身と子どもの固有性への視線を衰退させていた。その結果、「池袋児童の村」は、「ハウスシステム」と呼ばれる子どもの班組織、校歌、校旗等の導入を通して、機能的かつ象徴的な組織へと再編されている。
Author 浅井, 幸子
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